北海道に生まれたからこそ、できることがある

最近、「2025年7月に日本で大災害が起きる」とされる“予言”が話題になっています。

アジア圏では、その影響で日本旅行をキャンセルする動きが広がり、観光業には大きな打撃となっています。

正直、痛い。

何もしていないのに、予約は消えていく。

真偽も定かでない話に振り回されるなんて、馬鹿らしい。

…そう思いたい。

でも、

もしそれが「ただの噂」じゃなく、

“本当に起きてしまったら”と考えた瞬間、

心がザワついて、手が止まる。


日本という国に、巨大災害が起きる可能性があることは、

専門家たちが何年も前から警鐘を鳴らしてきたこと。

そしてもしそれが現実になったとき──

北海道は、比較的無傷でいられる場所だと言われています。

震源から遠く、

揺れも小さく、

津波の被害も本州ほどではない。


ありがたいことだ。

ほんとうに。

でも、思うんです。

それだけで、いいんだろうか?


「北海道は大丈夫だったんだ、よかったね」

「じゃあ安心して遊びに行けるね」

そう言ってもらえるのは、嬉しい。ほんとに嬉しい。

でも、それだけじゃ終われない。


本州が壊滅的な被害を受けているそのとき、

北海道はどうあるべきなんだろう。

安心を分けられる場所でいられるか。

逃げてきた誰かに、受け入れの言葉をかけられるか。

止まった物流の中で、自分の暮らしを守りつつ、誰かの力になれるか。


私たちは「守られた側」ではなく、

「守れる側」になる覚悟が必要なのかもしれない。


不安を煽りたいわけじゃない。

旅行を止めてほしいわけでもない。

日常を諦めてほしいなんて、絶対に思わない。

むしろ、

“今まで通りに生きること”は、一番の備えになる。

ただ、少しだけ心の奥に、

「もしもの時、自分はどう動くか」というイメージを持っておいてほしい。


北海道は、災害が少ないと言われている。

でもそれは、ラッキーだったからじゃない。

“誰かの支えになれる可能性がある場所”だからこそ、

この土地に私たちはいるんじゃないか。

そう思いたい。


誰かが困ったとき、

「大丈夫、こっちに来て」と言えるように。

そんな場所でありたい。

そして自分自身が、

そう言える人間でありたい。


北海道に生まれたからこそ、

できることがある。

いまはまだ、それが何なのかはっきりとはわからないけれど、

きっとそのときが来たら、自分の言葉で、行動で、示したい。

そう思っています。

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